来年度小学6年生になる生徒が、「来年から中学生になり4月から塾に通わなければならないので、週2回のクラスに来られません」と言いました。塾や習い事に行っている子供はたくさんいますね。スケジュールを見せてもらうと、大人の私たちから見ても大変だなあと思う時が多々あります。最近というよりは、私が子供のころから、塾・習い事に行っていた友達は多かったように思います。私は行ったことがないので、学校が終わった後、また別の教室に行くというのは感覚的には良く分からないです。で思わず、
「なんで塾に行くん?」と聞いてしまいました。すると返ってきた答えは、
「頭が良くなるように。中学生になったら大変だから」でした。
”なるほど、中学生になったら勉強をいっぱいしなければならないからか”と思ったと同時に、”『頭が良い』ってどういう事だ”と思いました。そこで、
「”頭が良い”ってどういう事と思う?」と聞きましたした。答えは、
「うーん、計算とかが早く出来ること」でした。
実は、個人的には”頭が良い”ということに関して、私なりの答えがあります。もちろん私の個人的見解なので間違っているかもしれません。
私の考える、”頭が良い”、それは『問題を解決できる事・解決策を見いだせること』、または『隠れた問題(隠れているので必要とはされていない)に気づき、それを解決出来ること』です。
例えば、
1.難病に効く効く薬を開発するというのもその一つでしょう。今までは直せなかった病気(問題)を直す(解決)することが出来れば、世の人の役に立てます。
2.耐震性抜群で、価格が抑えられる家を設計できれば、日本の耐震家屋のパーセンテージが劇的に上がるかもしれません。
3.極端なことを言えば、喧嘩している2人の友達を仲直りさせることが出来る人がいたら、その人は非常に頭が良いと思います。2人の仲たがいの理由を分析して、2人のプライドを傷つけることなく、2人が再度仲良くなれるよう立ち回ることはなかなか出来ることではありません。
4.日本と外国との関係を良くするために外交官になる。
個人的な意見ですが、あくまでも英語を含め学校で習う教科は『解決』を導き出すための『道具』だと思います。英語・日本語のバイリンガルだからといって、それだけでその人が”頭が良い”と結論づけるのは危険です。
学術という道具は悪いことにもつかえます。例えば理科を突き詰めれば「薬」でも「毒」でも作ることができます。
しかし、上記の1を解決するには「医学」を、2を解決したければ「建築学(またそれに付随した科目)」を、3に対しては「社会技量(ソーシャルスキル)」が必要になってきます。これらを実行するには、一般的に言われている”勉強”が大変重要になってきます。4ですと外交術の上に英語または他の外国語を身に付ける必要があるでしょう。
”勉強”をするという出発点(志)が、『ただ勉強をしなければならない』と思っているだけですと、上記のような考えにはなかなか至らないでしょう。解決する問題を見定めた(やるべきことを見定めた)上で努力をすれば、甘言に惑わされることなくゴールを目指せるでしょう。
しかし、「自分のやりたいこと、やるべきことなんて分からない」というお子さんは(大人も)多いと思います。ではどうやったら「問題を解決できる人になる」かとか、はたまたその前の時点の「勉強する理由を見つけられる」ようになるかということが疑問として上がります。
個人的には『実際に問題を解決した』人の生き方を学ぶことだと思います。本を読んだり、実際に話を聞いたりすることですね。本は伝記などがお勧めです。「偉人」とか言われている人の生き様は、例外なく面白いです。100年、200年前に生きていた人の人生から学ぶことがたくさんあります。失敗談なども載っています。自分が同じような環境に陥った時の指針となりますね。人生は意外と早く過ぎていきます。個人的には、先人から学んで実践するのが、人生を無駄なく生き、頭が良くなるための王道ではないかと思います。その上で学問が必要と明らかになったならば、一生懸命勉強すべきだと思います。「必要」ということが肚に落ちれば、迷うことは少なくなるでしょう。
孔子、老子なども非常にお勧めですが、好みもあるでしょう。程度の良い自己啓発の本なども面白いですが、変な本も多いので気を付けてください。最近読んだ本では ジェームズ・アレン『「原因」と「結果」の法則」サンマーク出版 が為になりました。これはどちらかというと哲学書です。なぜ今までこの本を読んでいなかったのだろうとちょっと悔しくなりました。
あと、”この人の話を聞いてみたい”、”この人から学んでみたい”と思ったら、話を伺いに行ってみるのも良いと思います。「話を聞かせて欲しい」と情熱を持って聞けば、ほとんどの人は会ってくださいます。私も高校生の時、テレビで見た人に連絡を取って、東京まで話を聞きにいったことがあります。
こうして他の人の人生を学ぶことで、「問題を解決する『目』」、「問題を見つける『目』」が養われてきます。そして真に「頭が良い」人に近づけるのではないかと思います。
ギグルスイングリッシュも英語を教えるだけではなく、子供たちの根っこの部分を少しでも育てられたらと思います。
P.S. ギグルスプリスクール(英語保育園)を開校します。詳しいことは後々発表していきますが、英語がネイティブのようになるだけの英語保育園(むしろ『学校』というほうがしっくりくるのですが)ではありません。モンテッソーリ教育を取り入れ、子供達の自立・自律のお手伝いをしたいと思っています。
「自らを顧みてなおくんば、千万人といえども我行かん」という心境です。