英語育児を、子供が日本語をしゃべる前からされている親御さんが以前言っていた。
「あれだけ英語で話しかけたり、絵本を読み聞かせしたりしたのに、初めて話した言葉は日本語だった」
母国語(我々の場合は日本語)の影響力は強い。
我が家でもフィンリーが最初に言った、意味の通る言葉は
「なんしょん?(何をしているのin阿波弁?)」
であった。2才になったころだと思う。
あれだけ英語で話しかけ、DVDを見せ、CDを聞かせしたのにだ。それからも日本語のレパートリーは増え続け、保育所の先生にも
「フィンリー、だいぶ日本語話せるようになってきたね」
と褒められていた。
反面、英語はというと…そんなに話すことはなかった。単語で動物の名前とか物の名前とかは言っていたのだが。
フィンリーの話す言葉が急に英語になったのはその年の冬、マーズの母国であるスコットランドに帰郷した時からであった。私は一緒に行っていないので、その過程は見ていないのだが、子供ながらに”日本語が通じない世界”に直面して英語を話さなければと思ったのかもしれない。さすがに得意の「なんしょん?」はずっと言っていたらしい。
スコットランドから帰ってきてからフィンリーが話す言葉はほぼ英語になった。保育所でも英語でずっと話していたらしい(今でもか?)
しかし、恐らくフィンリーがスコットランドに行っていなくても英語を話すようにはなっていたと思う。
親のしつこい英語攻めで、”親といるときは日本語は通じない”というのがいつかは分かったはずだ。
これと同じように、両親が日本人でも、英語の時間を毎日、時間を決めて子どもと持つ事を続けると必ず子供はいい意味で「諦める」
”今からは英語の時間”と。そして英語を使うようになってくる。
ただ人は”待つ”ということが嫌いだから、
「親子英語は無理。だって子供が”日本語で言って”って言ってくるから」
といってやめてしまう。確かに楽しくない英語をやらせることは良くないが、反面ここでやめてしまっては(親が諦めてしまっては)子供の英語は大成しない。
親子英語は親にかかっている。しっかりとした信念が必要だ。なぜ子供が英語を学ぶ必要があるのかをしっかりと自分に問いただすことだ。
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